日本の農地は放棄されつつあります。土地持ちの人にはそれぞれ放棄せざるを得ない理由がありますので、誰かが代わりに引き受けなければなりません。
そこで街に住んでいる人に期待がかかります。
<農地の行く末>
田舎の農地がどんどん荒れています。
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かつて田畑だった場所は、雑草だらけになり、木が生え、畔はイノシシに掘られて崩され、隣の雑木林と区別できなくなっています。
隣の雑木林は背が高くなり、田畑だった場所を日陰にします。
つまり、耕作放棄地を農地に再生するというものは、農地だけではなく、周辺環境も変えなければ完全に再生されたとはいいがたいのです。
耕作放棄地が増える理由は、
働き手がいなくなり、農家さんも歳をとって高齢化して、広い面積を管理できなくなっていったからです。
働き手がいないのは、子の数が減ったことと、子が百姓・農業を生業としなくなったこと、生計を立てる大変さを知っていることなどが原因です。
<耕作放棄地を農地に再生するには>
管理できなくなった農地は荒れ果てますが、再開墾しようと思う人も出てきます。
その中には、農家の人もいますが、農家ではない人もいます。
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農家でない人は、農地の売買・貸借ができないことになっていましたが、農地を貸し借りできる制度ができました。
解除条件付き利用権設定というものです。
農家や農家の家系でない人が農業をしようとしたら、農地を借りることができる制度ですので非常にありがたい制度です。
ですがこの制度は農地だけの話しです。
つまり、雑木林などの周辺の環境も含めた農地再生までは網羅されていない制度止まりです。
<新規就農者の役割の一つ>
偏見かもしれませんが、もともと農家だった人は、わざわざ耕作放棄地のような農業環境の悪い農地を良くしようとは思わないと思います。
ですが、新規就農者は、野菜を作りたい、お米を作りたい、果樹栽培をしたい、というような思いとは別に、土いじりに魅力を感じていたり、日本の大地を守る正義感を持っていたりします。これもまた偏見ですが、大きくは間違ってはいないと思います。
そこで新規就農者は、縁もゆかりもないけれども、ある村のある農地をお借りして、農業を始めます。
なんの信頼も実力もない人間が、情熱だけもって農業を始めるのです。
うまく収穫できるときもあれば失敗することもあります。それでも一生懸命田畑を管理していたら、周りの人たちも一目置いてくれます。
そうしてやっと、農地だけでなく、周辺の雑木林の管理の話しができるようになります。
<農家をサポートすることに対価を求めるか?>
農家は農作物を売ることで生計を立てています。
その農家を手伝うことに対価は必要なのでしょうか。
つまり、1時間、お手伝いをしたからアルバイト代を請求するかどうかです。または、対価として農作物を持って帰ることを当たり前と思うかどうかです。
話しを変えます。
かつて土地を維持してきたのは、その土地を所有している人であり、その地域に住む村人でした。村人たちはそれぞれ助け合い、感謝をし合い、相手がいることで自分が生きていくことができることを肌で実感していたのでした。
結果的に日本の大地が守られてきました。
日本の村社会の成果です。
その村社会が今では崩壊しています。
では誰がどのように日本の土地を維持していくのでしょうか。
賃金がもらえるならやる、という人もいれば、お金をもらってもやりたくない、という人もいると思います。
ですが、土地を維持するということは、賃金がどうこうとは次元が違う気がします。
<街の人ができることをする>
さて、担い手の問題です。
元々村に住んでいる人と、新規就農者だけでは里山などの土地の維持はできません。絶対的に労働量が足りません。機械化が進んでいるとしても無理です。
そこで農家ではない人の協力が必要になってきます。
村人にとって、村に知らない人がいるのは不安です。
ですので、村人の知人か顔見知りである新規就農者かを通して行動を起こすといいのです。
<継続できる距離・時間を決める>
一時的な協力も必要です。ですが、雑草は生え続け、木は成長し続けます。動物も行動し続け、土も動きます。
つまりやることは年中あります。
あなたが定期的に通える距離の田舎を探し、知人を通して連絡をとってみてください。
そしてその中でできることを続けていく。
街の人が田舎へ通う。
これがこれからの日本の大地の守り方だと思います。
村へ通い続けて3年目の就農者の意見でした。
なにかのきっかけになればと思います。
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